知らす知らず私達は日常の自身が置かれている現実は自身の意識に委ねられた時間や意味に所属して流れていると信じようとしている、確かに時間における歳月は等しく万遍なくそうある姿に意味や本質を写そうとしてきたそぶりはあった、そして私たちは過ぎ去った歳月のありえない理想を留めようとする。
それは留める事で理想があると信じているのか、又は信じ込む自身の姿や歳月の重なりに理想を見出だすのか、そこでは変わることは変わること以外は有り得ない事が上手く伝えれる事がなされていない。
変わること、蛹の変容と意味が異なる、メタモルフォーゼは理想と言えるが私たちの現実は理想は有り得ない、理想こそ眼前の溶け始めているその時間なのだ。
時間の中に理想的意味が潜む、しかし私達は変容したその場所にたたずめない、それは私達が長い歳月いつしか描いた我々自身が不在の理想という蜃気楼だから。
駅前には私達が思い描いた理想の街、商品化された姿が並ぶ。
人々は自身が不在の理想を好む。
好む商品は多くの人々しに好まれその場所を理想という蜃気楼に変え人々不在の時間のみの場所に差し代える。


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