2008年9月16日火曜日

普段何気なく通り過ぎる地下鉄のコンコース、特に表参道駅の乗り換口の変化は、地上の新たに開店した世界的ブランドショップ等と大きく関わり、それらの影響をたのかそれまでの環境を著しく変えた。

その対応と変化は長く放置されてきたそれまでの過程の中でその放置の限界を超える事を感じさせそこに不思議な時代性を伺わせる事を感させる。
時代性を伺わさせる。
見直しを余儀なくされるそんな印象を持つ。
それは媒体を通した環境の見直しに似る、表参道の地下改札口に至る迄の街の外的変化、そして現実や状況の見直し。
そんな決意の向こうに立ち現れ迷わせるのは放置されたそれまでと同じ現象に過ぎない。
目の前に立ち現れた空間は時間、季節、ジェネレーションそして分かり易い欲望の意味。

さて表参道駅は新宿駅東京駅、丸の内銀座等と異なり狭い床面積にも関わらずその著しい変化は目を見張るものがある。
我々に投かけるこうして場所や環境は場所性の新たな在り方へ移行した。
地下の乗り換え口は個人的チューブの第二、第三の新たなプライベートシティにそれは都市空間の時間軸トラフィックのタイムラグという今までの習慣性を棄てた別々のタイムラグの中から派生する皮膚の柔らかい閉じたトラフィックチューブになる。
ラビリンス。
地上の変化、現象は意味を変えリフレクション効果と意味の関係に時間と人々とを相対的に包む事を強め都市は新しい見えないチューブラビリンの空間になった事を感じさせる。
表参道駅の乗り換え口は地上の変化に媒体として対応し、新たな空間に姿を変え都市の空間に流動性をおび環境全体が媒体に溶けだす現実を私達に伝える。
トラフィックチューブラビリン都市空間は建築要素の実態をさらけ出し我々の内部に媒体の意味になり溶けだす。
建築は媒体に消える。

2008年9月13日土曜日

軽い快感の眩暈

 

都市の中で不思議な新しさを感じさせつつあるのは地下でつながり始めた街の中、見えない構造で地上とのあらゆる建築物と地中深く接続して場所の意味すら徐々に変えさせるそうした場所に何か新しい刺激があるうに思える。
都市の地上と地下は複雑に絡み合い無数に接続し私達の身の回り環境は都市内部深く潜む見えない所から静かに姿や実態を変える。
街の環境は建物や歩道、車道等アクセスするトラフィックライン等で構成される。それと公、私入り乱れる建築等、複雑な街の関係で結ばれいる。
不安定なバランスで保たれる。
また街は時代と共に移り変わり息使いを潜める生きものようになる。
時代を歩み続け都市の変化は我々の意識に複雑な影響を与えてきたことになる「時間」そして「歳月」都市も私達も時間に溶け流れだした。
アメーバのように都市の中に隠れる。
都市空間の推移、車の「意味」「要素」は多くの現象を生んだ。ことばを変えればモータリゼーションが我々の社会や経済に大きな変化をもたらし「私たち」や「街」「都市」我々に多く影響を与えた事は無視できない。「都市」と「都市」を結ぶ道路、国道、県道、市道、等など街は全て「接続」されてきた。
それは私達が「接続」の向こうに「理想的姿」「未来像」を画きその「理想」を信じ込むことに「長い歳月」「時」にエネルギーを注いできた事に似る。

技術の進化に未来の理想化、私達は理想化の向こうに見た「共通性」、それに「理想像」を重ねて来たとも、それは「理想像の共有」。
モータリゼーションがもたらした現象の最初の「共有観」と言える。
共有する価値観や時間に距離感を重ね合わせることで薄まり始める「もの」の「質量」に軽い「快楽の眩暈」を感じることになる「軽さの中にある快感」は車がもたらした現象と言えるかもしれない。

   
「接続」トラフィックラインは都市や街に向ける連続した「連結空間」になることから「拓いた空間」から「拡がる空間」を生み出したことになり「我々の内部」に繋がることになった。
都市に接続し始めたトラフィックライン、それはモータリゼーションの現象、車が人と共に現実を触れることになりトラフィックラインは拡がる人々は価値観の共通性に「メタルの皮膚」を着るこのモータリゼーションの影響力は「意味」「質」の異なる欲望が生み出される。
そして長く語られて来た共通の理想的価値観を崩す。
トラフィックラインを通し我々自身の内側から消えて行くチューブラビリンの神話、モータリゼーションの開始された時点、我々は自身の心の内側に「閉じた世界観」を見たとも言える、「トラフィックチューブ」の都市や街、接続から開始された未来観は今、理想的な「意味」「内容」は遥かに掛け離れて行く「現実」を私たちの街に観る。
拡がる都市空間、インフラの皮膚を纏ってまだ久しい、しかし今都市は人々の内側の欲望のチューブに都市のインフラの皮膚を重ねる我々の語り継いできた都市神話を脱ぎはじめる。
神話は姿を変えその姿を包む内部は中心を持たない。
瞬間に立ち現れ都市の街のそして奥深く向かう。
気が付くと移動する機能が物とつながり重なることで媒体が誕生することになる。
あらゆる身の回りが媒体になり動き出す。
「我が家まで」「我が家から」都市における空間の意味は「移動」する意味「閉じた系」の意味、と繋がって内面に向かう。
私達はそこにいることになり変化を目撃する。
地上でリフレクションしている多くの物や記号は我々と距離を持つ、しかしアメーバとなったチューブの空間に立ち上がるものは「至近距離」に、「網膜」「皮膚」にダイレクトに飛び込む。
リフレクションする街や都市空間の多くの構築されている物の神話は消えたことになる。
それは風景、流れるメタルの皮膚は窓の出来事、都市の騒音と同化した時間に変わる。
「近づく」「気付く」、その時街のあらゆるものは実態が流れだす、なぜか媒体は街の風景に溶け我々は瞳を閉じる接続するチューブが空間性を変え拓く。

2008年9月2日火曜日

リバーシブルシティ東京にようこそ。

 

緑の向こうに静かに延びる首都高速、用賀から国道246号線の頭上に重なるアプローチその時間を経た姿は躍動感あふれ今でも再建当時の迷いのない日本人の力強い姿を言葉を変えれば後戻り出来ない戦後の複雑な様子すら垣間見ることができる。

単純な未来観が衝撃的に道行く我々に迫ってくる。信じ込むと周りを観ない日本人の別モードラテンの〔ノリ〕すら感じる。
首都高速に東京は欠かせない?首都高速その姿は未来像の在り方、デザインに託してきた預言性を強く感じ怖さすら感じさせる。
首都高速の預言性にはデザインの暴力性と瞬間的効果、我々の饒舌な街と距離をとり無関係の関係をとりその意味を呈示していたことになる。
多摩川を渡るに連れ接近して来る首都高速道路それを下から見上げるコンクリートの造形に呈示された未来像、それは無言で新しい東京のもう一つの入口。
     
国道246号線、同じ都市空間にあり異次元に向って立つ首都高速と見ることにもなる。
カーブするその柔らかな造形はまるで車が生き物に変わる、そんな預言的未来観を感じさせ不思議に切り取られたチューブのイメージそこで繰り返し行われることは時間を溶解し留めること、そしてコンクリートとアスファルトの柔らかい空間を知ることになる、コンクリートの塊は都市の入口で柔かなシートへ静かに時間と我々を溶かす。
全ての車が一定速度を経ると流動性をおびアスファルトの上をチューブの空間を流れだす。
首都高速ではドライバーと車が機械的な生き物に変換する。
ドライバーの姿は消え見えなくなる目的と時間を意識する小さな偏平な目に変わり見る意識へと代えられ流れる時間の空間に入る。
アスファルトラビリンス、チューブ空間の我々と未来それは入口で出口、リバーシブルシティがビルの背景で想像されていた事になる。
建物の合間、いや谷間スロープする未来、通り過ぎる目の前の拡がるコンクリートチューブ、地上の現実はチューブの内部には届かかない。
都市にアスファルトラビリンスが延び都市の裏表を我々に見せることになる。
それは瞬時に無関係、同時に記憶に留める事以外に全て無力な存在にすり代える。
チューブの内部から見た外の現実は知覚できるが通り過ごす事以外に策は無い。
随分以前から我々は未来空間にいた事になる。
未来像は理想像は窓の外に拡がる。
未来像は溶け出し原形は姿を留める事はない。
目の前に拡がる身の回りの変化が現実、まだ観ぬ未来は溶け蒸発を開始してもチューブの内部で我々は気付けない。