都市の地上と地下は複雑に絡み合い無数に接続し私達の身の回り環境は都市内部深く潜む見えない所から静かに姿や実態を変える。
街の環境は建物や歩道、車道等アクセスするトラフィックライン等で構成される。それと公、私入り乱れる建築等、複雑な街の関係で結ばれいる。
不安定なバランスで保たれる。
また街は時代と共に移り変わり息使いを潜める生きものようになる。
時代を歩み続け都市の変化は我々の意識に複雑な影響を与えてきたことになる「時間」そして「歳月」都市も私達も時間に溶け流れだした。
アメーバのように都市の中に隠れる。
技術の進化に未来の理想化、私達は理想化の向こうに見た「共通性」、それに「理想像」を重ねて来たとも、それは「理想像の共有」。
モータリゼーションがもたらした現象の最初の「共有観」と言える。
共有する価値観や時間に距離感を重ね合わせることで薄まり始める「もの」の「質量」に軽い「快楽の眩暈」を感じることになる「軽さの中にある快感」は車がもたらした現象と言えるかもしれない。

「接続」トラフィックラインは都市や街に向ける連続した「連結空間」になることから「拓いた空間」から「拡がる空間」を生み出したことになり「我々の内部」に繋がることになった。
都市に接続し始めたトラフィックライン、それはモータリゼーションの現象、車が人と共に現実を触れることになりトラフィックラインは拡がる人々は価値観の共通性に「メタルの皮膚」を着るこのモータリゼーションの影響力は「意味」「質」の異なる欲望が生み出される。
そして長く語られて来た共通の理想的価値観を崩す。
トラフィックラインを通し我々自身の内側から消えて行くチューブラビリンの神話、モータリゼーションの開始された時点、我々は自身の心の内側に「閉じた世界観」を見たとも言える、「トラフィックチューブ」の都市や街、接続から開始された未来観は今、理想的な「意味」「内容」は遥かに掛け離れて行く「現実」を私たちの街に観る。
拡がる都市空間、インフラの皮膚を纏ってまだ久しい、しかし今都市は人々の内側の欲望のチューブに都市のインフラの皮膚を重ねる我々の語り継いできた都市神話を脱ぎはじめる。
神話は姿を変えその姿を包む内部は中心を持たない。
瞬間に立ち現れ都市の街のそして奥深く向かう。
気が付くと移動する機能が物とつながり重なることで媒体が誕生することになる。
あらゆる身の回りが媒体になり動き出す。
「我が家まで」「我が家から」都市における空間の意味は「移動」する意味「閉じた系」の意味、と繋がって内面に向かう。
私達はそこにいることになり変化を目撃する。
地上でリフレクションしている多くの物や記号は我々と距離を持つ、しかしアメーバとなったチューブの空間に立ち上がるものは「至近距離」に、「網膜」「皮膚」にダイレクトに飛び込む。
リフレクションする街や都市空間の多くの構築されている物の神話は消えたことになる。
それは風景、流れるメタルの皮膚は窓の出来事、都市の騒音と同化した時間に変わる。
「近づく」「気付く」、その時街のあらゆるものは実態が流れだす、なぜか媒体は街の風景に溶け我々は瞳を閉じる接続するチューブが空間性を変え拓く。


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