2008年8月28日木曜日

振り返り見上げると

 

歩いていて見上げると街路樹の緑に同化するように。
完成後はそれがまだ無かった頃とどこか同じ感じに、在ることが不在なようそんな気持ちを要求された小さな仕事だった、数年間引き渡し後緑の季節に訪れることが無かった、小さな内部は機能をコックピットのように、そこでは子椅子以外は窓、壁、一体化したテーブルを用いる。
つまり小さな出窓の変形をテーブルや家具にする、インテリは壁のいくつかの家具化が基本とし最大限床に解放性を見出だすことに注ぎ込まれた。
かって近代建築は当時技術の進んでいるあらゆる分野の影響を受けそれを取り入れる時代があったと教えられたことを思い出した。
この設計をしている時、曲面ガラスの壁をコックピットの言葉と同時に決定した、なにか建築が客船や飛行機そして、乗用車等、工業的生産物の影響を受け建築にもその流れを取り込みどこか技術的な意味を建築に応用し多くの試みがなされたそんな事を思いだし内部と外部の同化を決定したように思う。
内部は夏には銀杏並木の樹葉に包まれ又落葉の季節には陽光が降り注ぐように、都市を歩いて思うことは設計者が関わりを持つ持たないには関係なく見上げる建物の中で窓の数だけ思い入れや個人の要求が複雑に入り乱れているようにさえ感じる。
しかしその窓は静かにかつ何も無かったかの如くたたずむ、そして装う。
複雑な意味をそこでの出来事は覆い隠され全て均一的に外に振る舞う。
それは漂白された砂の一粒のように我々を抜け殻の粉にする作業に似る。
見上げる空、その下に建つ建物、窓は乗り物の窓と見立てると私達は別々な方向や明日そして未来を意識していることになる。
しかし今日、都市の建築の窓は外に向かわず内側に向くことに我々は気付く。
あれから長い歳月、工業製品やある時代の技術的影響をまともに受けた建物はやはり動けない乗り物にかわりはなかった。
しかしあのインダストリーの面影は今も我々を魅了する、流れる出るスピード、そこから望む我々の明日、窓に重ねた建物と都市の明日、その窓もいつしか内部の人間模様の関係を写し、今や別々に閉じ始めを開始する。
窓にたずむ我々がいっしか溶けだしていることに気付かされる。
窓の数だけの出来事、角砂糖が湿気るようにゆっくり溶けだしている。
我々は今だ都市に近づけないでいる。
窓の内側が甘く温む全ての時間が溶けだし始めている。
窓だけが空を雲を切り取る。
窓にむけて。

変わり、それは代わり、気付かず何かにすり替えられて気付いた時は

これは駅前の時間歳月のある一時の現場の出来事である。
知らす知らず私達は日常の自身が置かれている現実は自身の意識に委ねられた時間や意味に所属して流れていると信じようとしている、確かに時間における歳月は等しく万遍なくそうある姿に意味や本質を写そうとしてきたそぶりはあった、そして私たちは過ぎ去った歳月のありえない理想を留めようとする。

それは留める事で理想があると信じているのか、又は信じ込む自身の姿や歳月の重なりに理想を見出だすのか、そこでは変わることは変わること以外は有り得ない事が上手く伝えれる事がなされていない。
変わること、蛹の変容と意味が異なる、メタモルフォーゼは理想と言えるが私たちの現実は理想は有り得ない、理想こそ眼前の溶け始めているその時間なのだ。
時間の中に理想的意味が潜む、しかし私達は変容したその場所にたたずめない、それは私達が長い歳月いつしか描いた我々自身が不在の理想という蜃気楼だから。

駅前には私達が思い描いた理想の街、商品化された姿が並ぶ。
人々は自身が不在の理想を好む。
好む商品は多くの人々しに好まれその場所を理想という蜃気楼に変え人々不在の時間のみの場所に差し代える。

2008年8月27日水曜日

商品化される中で

今さらとは言え商品にすることが20世紀のもう一つの歴史だったので、ただ歴史は多くの関わりそして編成した側の利害そして立場上の要因が錯綜する迄に表立てて語り合えない。各々の本音がブラックボックス状態になっている、歴史を編集しょうと動き出した時そこでは現実的に編集しょうとして多くの過去や出来事がテーブルの上に集められた物、もの、者、はその時点においては〔出来事〕〔人物〕以外の〔何物〕〔何者〕〔時間〕でもなく日常的時間の経過、又は時間歳月の過程的流れに過ぎなかった、歴史それは編集側の側面が重要な意味を持ちその作業に従事する、それはコンセプトの具現化、言葉を変えるとそれは編集側のコンセプトの編集化とも言える。またそれはそれ以外の意味を成さない。均してみると歴史の中に我々の身の回りにある喜怒哀楽等、普通にそしてそこに見えるものや襞は読むことができない。しかし我々は確実に我々の過去も商品化してきたし商品コンセプトの為にその意味や本質を歪めてきた、そして歴史を編集した側以上に身の回りの〔こと〕、〔も
の〕、〔習慣〕、そして〔季節〕すらもまた自身の〔年齢〕列記しだすとこの事項は歴史以上に複雑な意味が隠れていることに気付く。柔らかな歴史が浮上するのが見える、しかしそこでは、時間、歳月の歴史の編成、そしてそれはなぜか一定の意味と場所に戻る、歴史の意味は?、歴史は編成された商品?その商品は歴史の時代に一致させて戻る場所のように、商品が不思議な意味を持ち我々の内に潜む欲望に入れ代わる。そこでは新しくはないが新しげなプロダクトが誕生することが見える。その時欲望の拡張はなぜか不安感すら持たずまるで夢遊病者と同じ姿の我々の姿を見ることになる、今歴史も商品も柔らかく初期編集コンセプトの意味の場所に立つ、権力や行政が変遷されるその場所に重ねる事が我々は学んだ事になる。不思議な商品の欲望的現実編集、その商品化された欲望に我々は包みこまれる。快楽的快感のより強い濃度を持つ明日を見ることを〔商品〕にたくすことこの事で我々自身の現実編集が見える。それは夢遊病者のように歴史が語り継ぐ権力側の立ち位置に立ちあらゆ
る価値や意味が一箇所に変遷されるように我々の商品、すなわち欲望はいつのまにかそれと同じ場所に立つ。
幾度と書き変えかつそのコンセプトはその都度変わるがなぜか変われば変わるほどに歴史は強固にいつしか代えたはずが元の歴史的意味や場所に一堂に同じ場所に変遷されている事に気付かされる。歴史も長い過ぎ去った過去の時間歳月や我々自身の商品化と読むこともできる、全てが商品に、歴史は権力に、しかしその歴史は権力が商品化された今その変遷された場所を埋めるのは商品、商品が権力行政のかっての変遷された場所に立つ、全ては時間、歳月、死すらも商品になった今その事は歴史そのものに埋めこまれ意味付けられ固まりや塊りは流れ溶けだし見えない意味にパッケージングされる。まるで心地いい真綿に包まる子供のように。

駅における現実

 

 

まず自販機、入口にサンプルに発券機が入口が二カ所なら二つがある
ーこの事は意味することは何か?
伝達することはセレクタ〜?における現実、時間的意味と写真には写っていないうどん、ラーメン、など時間の中でサプリする決定した人のみにズームする事が意図されている。
ここではラーメンうどんの記号は時間を問題にしている事のみが潜んでいる事がこの現実的在り方から読み取ることが出来る。
内部がここではその表層にどんな意味を持つのか?
内部はきっと透明となり多くの表層は無意味になりその内部の関係は消え失せた内部となっている。
自販機とサンプルのコルトンは空間の本質的メッセージを駅の一部で語っていることになる。